弊社HPへアクセス頂きまして誠にありがとうございます。
株式会社RTT チーフオペレーターの高橋です。
さて、今回で14回目ということで
箸休めの意味を込めまして少し香港についてお話ししようかと思います。
では参りましょう!
第14回!音響屋さんのお仕事〜香港編〜
なぜ香港かといいますと、
私が毎年オペレーターとして出張していて、
現地にも友達が居るいわば
Another Sky
だからです。
日本から距離的にも近く、時差も1時間。
かなり身近な土地でありながら、
日本自体隣国と地続きでないということも関係しているのでしょうが、
意外と他国に関して誤解だったり知らない部分が多いのではないかと感じます。
正直中国人苦手だなぁとか
感じてる人も多いのではないでしょうか。
私の見聞もかなり狭いことは間違いありませんが、
外国人の友達もそこそこいるので
彼らの名誉のためにもその誤解は解いてあげたい、
そう感じる次第であります。
まずそもそも、
香港って何?
ってことですよね。
中華圏でいえば代表的な土地として、
・北京
・上海
・香港
・マカオ
・台湾
などなどが挙げられるかと思いますが、
その中で中国に含まれるのは
・北京
・上海
のみです。
他は全て違う国となります。
いや、正確には少し異なるんですが、
最早別の国だといって差し支えないでしょう。
まぁ北京と上海が中国国内に存在する都市だというのはお分かりでしょう。
台湾も世界史などを勉強した人なら別の国だというのも知っていると思います。
テレビなどで台湾の大統領を見たことがある人も多いと思います。
ただ、香港は?
あまり香港の代表を見かける機会はありませんよね。
しかしながら当然香港にも代表は存在します。
ただ大統領制ではありませんので、
香港のトップは「香港特別行政区行政長官」と呼ばれます。
ここで出てきましたね。
「香港特別行政区」
中華人民共和国=中国
なり、
朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮
なり、
大韓民国=韓国
なり、
日本ではこのような略称が広く知られていますが、
香港の正式名称は
「中華人民共和国香港特別行政区」
であります。
(あれ?中国じゃん。違うの?)
違うんです・・・
いえ、合ってるんですけど違うんです・・・
すいません・・・
似たようなところで言えば
バチカン市国などがありますね。
バチカンもイタリアのローマ市内に存在する都市国家です。
バチカンの場合は独立国家ですので、しばしば世界最小の国として数えられることでも知られていますね。
バチカン市国にも触れていると私の見聞では抱えきれなくなってしまうので省きますが、
どちらも歴史上問題が発生したために生まれたという点は同じです。
軽く香港の歴史に触れますと、
まず1840年、清(当時の中国)とイギリスとの間にアヘン戦争が勃発します。
この戦争はイギリスの圧倒的な戦力により2年程度で収束しました。
(戦争終盤では最早戦う気すら起こらないほど清側はボコボコにされたようです。)
戦争とは勝った方が正義。
敗者は勝者のいうことを絶対に聞かなければいけません。
そして1842年8月29日に両国の間で南京条約が結ばれます。
様々なことが定められる中、
勝利して調子に乗ったイギリスは、清に対して多額の賠償金と当時の香港の割譲を要求しました。
清は戦争に負けてしまいましたから、当然これを了承することになります。
正しくこの時歴史が動きました。
現在の香港の繁栄は皮肉ながらこの戦争のおかげだったということも出来るでしょう。
当時のイギリスが香港を欲しがったのは紛れもなく貿易のためです。
イギリスの植民地であり中国大陸おける貿易拠点となった香港は、
流通や経済面などで非常に発展を遂げます。
(現在でも使われている主要ストリートであるネイザンロードや、
高級ホテルのペニンシュラ・ホテルなどはこの時代の名残です。)
さてさて、時代は進み1941年12月8日。
皆さんご存じの太平洋戦争が勃発します。
イギリスの植民地であった香港も日本軍の標的にされてしまいます。
均衡した戦いが続き地の利を活かしたイギリス軍に日本群は苦戦しながらも
なんやかんやあってイギリス軍は日本軍に降伏を宣言。
同年12月25日の出来事でした。
イギリスが撤退し、代わりに香港を統治することとなった日本は
これまで行われていたイギリス式のやり方を全て廃止。
イギリス植民地時代に使われていた英語を禁止し、
代わりに日本語を使うように指導しました。
(いやはや・・・あちこち振り回されてたまったものではないですね・・・)
戦いには勝った日本ですが、どうやら政治の面ではあまり上手くいかなかったようで、
日本軍が行った政策により香港は深刻なインフレを起こします。
その結果、今まで貿易で成り上がった経済面が一気に破綻し
元々住んでいた中国人住民達が一斉に逃げてしまいます。
1945年、太平洋戦争が終結。
当然日本は敗退します。
既にこの時代では状況が打って変わって
日本VS世界みたいな形になっていましたから、
こんな小さな島国が世界相手に勝てるわけありませんね。
広島と長崎への原爆投下も皆さんご存じの通りです。
そんなわけで無条件降伏した日本は当然香港の面倒を見る余裕もありません。
というわけで折角手に入れた香港をイギリスに返還することになります。
この期間なんとたった3年8ヶ月・・・。
その後1949年には今の中華人民共和国が成立。
名前の通り共産主義国家ですから、
それに反対する中国人達が香港に逃げてきて、
その他外国資本も次々香港へ拠点を移した結果
再度香港は経済発展を遂げることとなります。
その後様々なトラブルがありつつも
なんやかんやあって、
香港は金融・商業・観光などにおいて
中国大陸よりも優秀な都市へと進化していきます。
またまたなんやかんやあって
1984年12月19日、
中国とイギリス双方が中英共同声明に署名します。
1997年7月1日、
イギリスは香港の主権を中国に移譲。
当時、香港に比べて全ての面において弱かった中国は
そのまま香港を受け入れても手に負えないことが明らかだったので、
当時の中国最高指導者であった鄧小平が提示した「一国両制」政策をもとに、
中国で行われていた社会主義政策を2047年まで実施しないことを約束しました。
中国の共産主義が香港では受け入れられないということも鄧小平は分かっていたんですね。
なぜ2047年までなのかといえば、
中国「おうおう、香港よォ〜?2047年まで修行してくっからよォ〜?それまで覚えとけよォ?」
てことです。
現在では世界でも圧倒的な力を誇る中国ですが、
当時はまだ発展途上国でした。
イギリスに対して、「ねぇ〜イギリスさーん。そろそろ香港返してぇ〜?」と
散々しつこかった割には、
イギリスの支配を受け経済的に進んでいた香港を
そのまま受け入れるのは正直厳しかったのです。
というわけで、ここからは最近のお話ですが、
それまで植民地とはいえ意外と平穏に暮らしていた香港住民にとって、
主権移譲後の香港では様々な中国政府によるトラブルが頻発します。
言ってしまえばイギリス植民地から、ただ中国の植民地になっただけという人も。
イギリス植民地時代の方が言論や報道、表現の自由があったので、
現在でも多くの香港人が中国政府に対して、本当に意味での独立を求める民主化運動が行われているということです。
これまでの歴史から、
言語は英語と元々あった方言である広東語、
通貨は中国人民元ではなく香港ドル、
社会主義では無く民主主義、
中国政府管理下でありながらも独自の自治権を持つ政府、
漢字も中国大陸で使われる簡体字ではなく台湾と同じく繁体字が使われている点。
中華人民共和国の中に存在しながら、
言葉も通貨も政治も文字も異なるという興味深い土地なんですね。
これは最早中国とは違う国だといっても良いのではないでしょうか。
すっかり歴史のお勉強になってしまいましたね。
間違っている点などありましたらご指摘頂ければ修正致しますので、
お待ちしております。
というわけで今回はここまで!
ご拝読ありがとうございました。